眠れない

生理的に眠れない

眠くない

酒でダウンした後の頭特有のスパーク感はある

 

メモ書き

 

1人

2人

3人?

 

天井はきっとハリボテ

 

頭の中をアニメが巡る

悪い怖いは意味を為すか

何かを奪われる

でも生きていることにそもそも意味がないなら、何かを奪われることを怖がる理由がない

執着だ

だから幸せから遠ざかる

恐怖を煽ることで人を幸せから遠ざける

恐怖を通して何かを考えさせる方向ではない

 

2人以上いれば問題が起きる

問題はどこに起きる?自分の中?外?外も自分の中?境がない

なぜ誰も幸せになれないのか

「愛」への関心は「幸せ」への関心へ。

何をしても幸せに辿り着けない。

どうしてなのか。

幸せが宿るのは過程なのかもしれない。何かに没頭しているその期間に湧き起こる幸せの感覚は、立ち止まり居座るところには存在しないのではないだろうか。

 

生活に留まる。

旅の中に留まる。

仕事に留まる。

SNSに留まる。

人生に留まる。

 

水のように流れあるところに幸せが湧き起こり、留まると淀み消える。

そういうものなのかもしれない。

 

シェイクスピアがやたらと取り上げられる。

ダンテが、ニーチェが、トルストイが。

名作の中にこの苦しみの答えはすでに書いてある気がする。

どうしてまだ生きているのか。

その問い自体に価値がないからだ。

生きている意味はきっとない。

これも名前がついているらしい。サルトルの言う実存主義。もうこれも説明した人がいる。全く面白くて,面白みがない。

 

説明をすることがこの後の誰かのために

なることはいっぱいある。

だから僕も、何かを説明して旅立とうと思う。

「書く」ことの中に人生の答えがあるんだと思うこの頃。

そして「読む」ことがその始まりにある。

物理的な動きを伴う旅は、一旦の終わりを迎えるのかもしれない。

歳を重ねた。

期待と駆け引き

期待、駆け引き。

「相手にこうなってほしい、自分の〇〇を埋めてくれるために」っていう心と、そうじゃなかったときに「やっぱりこの人は期待通りにしてくれなかった」という他責の心の言い訳なんだ。

それは自分の幸せから遠ざかっていく行為なんだ。

 

すべて自分が招いたこと。

自責になるべき行動の積み重ねなのに。

それは、いつかの人生までは必要なのだけれど、だんだんと手放していくことなんだと思うんだ。


僕はもう手放した。

初めて、人生を前に涙した日

今日は記憶に残る日だと思う。
目の前の、終わろうとする人生に対して、とても、とても
「哀しい」
と感じた。
その終焉が、これまで僕が見たことのない形で、触れ方も、扱い方も分からなくて、いつもだったらもっとずっと近くに感じるのに
今日は、とってもとっても遠くに感じた。

すぐそこにあるのに、とても遠くに。

 

目が合った。

 

その時に

 

「哀しいね」

 

って僕は目で伝えた。


そうしたら僕の涙が溢れた。

 

旅立つ人生は、なんか諦めたような顔で、項垂れてるのか、笑ってるのか、分からない顔してた。

 

僕にだって旅立ちのために何かできるんだと思ってきたけど、
結局できることなんか、何もなかったんじゃないかって思ってしまったりする経験になった。


その人生に出会った時からどこか感じてきた違和感は、今日のこの経験のためにあったのかもしれない。

 

哀しくて、無力で、それが僕に対して哀しくて、涙が溢れた。

 

世界はそれでも一つだ。
その確信は無くならない。
それでも、僕の手で直接触れられない世界が確かにあることを、今日感じることができた。

 

あの人生は僕にそれを教えてくれた。

 

選ばれること?

我が子(店)が、周りの全てが「選ばれる」中で唯一「選ばれない」という経験をした。

親(クリエイター)として得る親としての悔しさと、まるで自らが選ばれなかったかのような自分ごととしての悔しさ。

 

とはいえ。「選ばれる」ことが価値だとする社会に所属することをやめてしまえば、その悔しさは存在しないことになる。

「あるはずのものがない」の絶望も、「元々そこにある」という認識にできれば絶望しない。

選ばれに行くのではない。

いつか自ずと見つけられるのだ。

元々ここに価値があるのだから。

必要性

1人1人に世界が与えた役割があるとするならば、僕は「医者」という括りである必要はないのかもしれない。

 

僕を必要としているのは、社会じゃなくて、世界なのだとすれば。

 

大いなるもの、神、サムシンググレート。

世界の約束

繰り返されてきた人間の歴史。

どこにも出口はない。

出口を信じて、盲進する人生も与えられている。

それでも、見つけてしまった真実たるものから目を背けることはできない。

 

誰も、私が憧れた人たちは気づいてきた。

この今の世界にはどうしようもないということを。

それでも。「それでも」を信じて歩いてきた。私は何かを判断するにはまだ、早すぎる。

今は私の出番ではないのだろう。

 

世界はいつまでもきっと答えを示さない。

人間もまた、世界に対して答えを示すことができない。

私ができることは、手の届く範囲へ、届けられるだけの「愛」を届けることなのだろう。

 

私がある。

家族がある。

友人がいる。

それで世界は、世界たりうる。

今私はそう思う。

Familyだ。その世界を守りながら、よりよいものへと導く。

僕らには何もできない。

そう思って、その「僕ら」の範囲を適切に広げていく。

また誰かが過ちを犯す。それも仕方がない。

僕らは「愛」と「思いやり」と「克己」をもって、この世界へ虚しき問いを投げ続けるのである。

 

世界はいつか答えてくれる。

その期待を胸に。今日も信じて。