世界の約束
繰り返されてきた人間の歴史。
どこにも出口はない。
出口を信じて、盲進する人生も与えられている。
それでも、見つけてしまった真実たるものから目を背けることはできない。
誰も、私が憧れた人たちは気づいてきた。
この今の世界にはどうしようもないということを。
それでも。「それでも」を信じて歩いてきた。私は何かを判断するにはまだ、早すぎる。
今は私の出番ではないのだろう。
世界はいつまでもきっと答えを示さない。
人間もまた、世界に対して答えを示すことができない。
私ができることは、手の届く範囲へ、届けられるだけの「愛」を届けることなのだろう。
私がある。
家族がある。
友人がいる。
それで世界は、世界たりうる。
今私はそう思う。
Familyだ。その世界を守りながら、よりよいものへと導く。
僕らには何もできない。
そう思って、その「僕ら」の範囲を適切に広げていく。
また誰かが過ちを犯す。それも仕方がない。
僕らは「愛」と「思いやり」と「克己」をもって、この世界へ虚しき問いを投げ続けるのである。
世界はいつか答えてくれる。
その期待を胸に。今日も信じて。
自らの中に変革が起きる
結婚
結婚にまつわる色々
契約更改
1周年
年齢の区切り
人生のフェーズが変わる瞬間は、うつ病発生のリスク。
統計的にも人が危機を予兆しストレスを受けることは、事実であることが述べられている。
参考として引用
https://midori-satohp.or.jp/feature/feature-1661/
苦しいなーっていう思いを重ねながら、
少しずつ幅を広げていく。
その繰り返しの人生の中で、繰り返しがどんな方向に向けられているかは自分でコントロールができるはずだ。
幸せに向かって。
その幸せの形は、その時その時でしか描ききれないものだ。
ここまでがそのようだったから、というnの小さい帰納法でしかないのだが、人生かけて繰り返していくことなのだろう。
また変革が起きる。
お互い様で、支え合って生きていく小さな共同体(自治区)の実現、そのためのエリアブランディング。
医療は生活や人生のごく一部でしかないのだと、この先の10年で同じように述べていられるか。挑戦なのである。
そしてどのような自分に会えるか。
まだできていないことがある。
長く生きねばならない。
彼の存在を意識した20代。
長く続けることでしか得られない真実もまた、この人生には存在するのだと確信している今日。
明日もまた人生が続いていくはずだ。
自らの日々の中に変革をもたらしながら、僕の、周囲の人生は、続いていくのである。
集団に対する嫌悪
ちょっとしたファミレスでのやり取り。
集団への嫌悪が、1人でいる、少人数で関わることへの好奇心につながっているかもしれない。
その記憶は中学1年時へ。
素行がよろしくなく、お騒がせな同級生がいた。
彼が集団の遊びの対象になって、ある日その逃避の形が「3階の教室の窓から身体を半分出して飛び降りようとする」という状況を生んだ。
彼のことを意識していたのは小学校2年生から。
横暴で、暴力をふるってしまう彼。
感情が爆発しやすい彼。
彼と2人で話すのは、暴力が嫌いな僕はちょっとドキドキするけれど、好きだった。
一度も彼に暴力を振るわれたことはない。
私が知らないアニメのことやゲームのこと、本当か嘘か分からないような内容まで博識な、他の子とは違う話をする彼といるのは好きだった。
自分の家の通り道でもないのに、一緒に彼の家まで行って、さよならをしてから家に帰るなんてこともあった。
彼は孤独なのだろうと思っていた。
彼の素行の荒さは、何かから認められていないことからくるもののように映っていた。
僕だって「誰も分かってくれない」と言いつつも気分はずっと孤独だったから、なんとなく近寄って行ったのだろう。
彼も受け入れてくれたのは同じような理由だったかもしれない。
そんな彼が、目の前で飛び降りようとしている。
集団の遊びの中に、僕だって参加していた。
集団の中で同じ「楽しさ」を追いかけた結果、こんなことになってしまうのか。
衝撃を受けた。
なぜ参加した。なぜ止めなかった。
どうか飛ばないでくれよ。
鼓動が速くなり、責任を感じた。
結局女子たちの声かけのおかげで彼は戻ってきた。
その後のことは、全然覚えていない。
僕らはどんなふうに怒られたのだろうか。
彼はあの後どんな中学生活を送っていただろうか。
記憶が不確かになっている。
集団に参加することの違和感は元々もっていた。
後悔が生まれたのはあの時だった。
自分が参加してしまったという罪悪感。
ベトナムから帰ってきて、戦争における拷問のこと、収容所の世界のことを考えていたらこの記憶が蘇った。
1人でいること、みんながよしと言うことを避けること、「面白い」を軸にすること、などはこの経験からくる集団に対する嫌悪と逃避の結果なのかもしれない。
まだ蓋をしている僕が、僕の中にいる。
「母性」の正体
前記事「『母性』を求めている」に対する返答。
男として生まれ、
男としての教育を受け吸収してきた僕の中にあった、
「女性蔑視」
というワード。
数年前から私の中にあると気づいていた言葉。
男として生まれ、
「母性」を求めてきた私。
かつてある人に対して覚えた苛立ちと、反応するように「嫌われるための態度」を取らざるを得なかった。
その男の子は何を求めたのか。
それは無条件に認めてくれるかどうか、の品定め。
求めた愛情がそこにあるかを確認する態度。
きっと思春期の男子が母親に対して行うものなのだろう。
「母性への執着」と「依存の恥」、ハインツ・コフートが1971年に述べたものに当てはまる。
愛着障害の1つである。
その障害が、「私が認められなかった」と感じた際に「恥」や「罪悪感」として噴出するため、そこから逃げる必要がある。
「認められる」を求めていろんなことをやってみせる。それで「認める」をもらっても、そもそも愛着障害が根本にあるので「認めてほしいからとった行動」が認められたところで何の満足も得られない。
恥や罪悪感から身を守る行動であり、そこには「プライド」がたしかに存在して、そのプライドは弱い自分自身を守るための硬い殻。俗に言われる「無駄なプライド」というもの。
本人は分からなくて硬い殻を必死に身に纏って殻の隙間から「認めてください」と新しい手札を試し続ける。
そんなことをしても母性が満たしてくれなかった孤独は(ひょっとすると「母性」のせいにしている孤独は)埋まらない。
10代のある時期求めた「母性」が満たしてくれなかった孤独がある。
その憧れでシャアが気になった。
「ララァは私の母親になってくれたかもしれなかった人だ」
明らかな愛着障害である。重なったのだろう。
アムロの「オヤジにもぶたれたことないのに」や母に対する葛藤、テムランに対する憤りというものにも憧れたのだろう。あれらも愛着障害だ。
親(つまり母性か?これは私が期待している「親」像かもしれない。どこで手にしたのか)への愛着行動の失敗が生み出した孤独が、満たされないままにさらにねじ曲がり、母性以外の「仲間」や「友人」に依存感情を生み出したか。
となると、僕の中にあるこの恐れの大元は「親」と同期した「母性」で無条件の愛、という歪な押しつけからくるか。
「見られ方が気になる」も自信が無いからで、自信がないのは掴める・頼れる「母性」を持ち合わせていなくて、「認めてほしい」という思いで硬い殻からすぐ消える新しい札を出し続けているだけの、宇宙空間を漂う浮遊状態だから。
自分を確かめられる術を持ち合わせていないのだ。
こうして社会?というか仲間や友人には「認めて」と意味の無い新しい札を出し続けて注目を集め。女性が現れると「あなたは僕に無条件の承認(=母性)をくれますか」と試すような態度を取る。こういう歪んだ状態に仕上がった。
無条件の承認=母性=親に付随するはずの(どこかで身につけた思い込み)もの
というどこかで身につけた構造が殻無し状態で満たされないまま時が過ぎ傷つき、歪んだ(→傷つくのが嫌で殻をつくり出した)。
それでは親のその次に近しい者「友人」「仲間」にそれをくださいと求めた。
でも逃避行動ゆえに殻の中から新しい札を出し続けることでしか「友人」「仲間」から承認してもらえる方法を思いつけず、突飛なことを考えては手を変え品を変え出すという始末。
一旦、説明は付いた。
一方でいくら病的な僕でも、発明とか着想とか知識欲まで、誰かへの愛着によって形成された者ではない気がする。この辺は個人の、私の世界の中だけの「好き」がある。
私、の外界に出れた後で、愛の求め方、安心の求め方をどこかで間違えたのだろう。
私が外界に出る前の時点で好きだったものは、今の好きにちゃんとつながっている。
残った議題
・無条件の承認=母性=親に付随するはずの(どこかで身につけた思い込み)もの、はどこからやってきた?
・ストレングスファインダーに現れてきたような条件は、外界に触れる前の私が、私だけの世界の中で育んだものではないか?そこには確かさがある。
2個目については物心ついて母性を感じたのは4,5歳の幼稚園の先生に対するものだったろう。あそこから歪み始めたのか?
女性の肉体に対する関心は、すでにそのあたりからあったわけである。
それは男性としては生物学的には間違っていないことであって、どこかで「恥じるべきもの」と自分に命じてしまったということだろうか。
こんなことを書いていると小3くらいのときにどこかで聞いた言葉が頭に浮かんで親がいっぱいいるところで「ゴスロリって何?」って言ったら母にたしなめられた経験を思い出した。そのとき「恥」を感じた。
「隠すべきもの」としての性にまつわる問題へのアプローチの早期に「恥」が関連してしまったのか。女の兄姉でもいれば、人生は違ったかもしれない。言っても仕方ない。
補足すると、前章的な「『母性』を探している」で書いた結論、あれは多分間違っている。
母性はひょっとするとこの後、私自身が生み出せるものになるかもしれない。
そして誰かと関係性を築くときには2人が出し合ったところに母性が生まれるのであって、僕が依存する、もたれかかる先としての母性では決してないだろう。
僕は1人で立つ。そのための「信仰」を憧れた母性(らしきもの?)ではないところに置けるようになることで、誰かと2人で新しい「母性」を生み出せるようになる気がする。
「母性」を探している
男の子として生まれ落ちた。
男の子の脳を乗せて、男の子としての教育を受けて、男の子を演じてもみた。
すっかり男の子が板についた。
「母性」を探している。
母性の喪失への恐れがある。
母性とは?
私そのままを包み込むもの。
この肉体と精神の四方すべてを包み込むもの。
「子宮」に近いもの。
完璧だと信じられるもの。
そう認識しているからこそ「母性」だと信じたものからの裏切りには大きく反応してしまう。
それは母性への不健全な依存からくるものなのだろう。
子どもが求めている「母性」。
ただ子どもでしかなかったところから、親という立場を意識した今、求めている「母性」。
前者を失うことはないが、両者は異なるような気がしている。
私を信じ、包み込んでくれる「母性」への憧れから、私が信じたいと信頼を置く対象としての「母性」への憧れへ。
まったく異なるものではなくて、同じものの別の面が見えるようになった、という感覚もある。
私が、私の意思で信じる。
相手からの見返りとしての「信じる」を必要としない、全てをかけて信じられる先としての「母性」。
失うことは哀しいけれど、私の生き方次第で、母性の対象は1人ではなくなっていく。
だから誰かがこの世界からいなくなったとしても、残される私が一切の母性を失うことはない。
受動的な依存先としての母性から、能動的な責任をかけて関わる母性への、主体性の転換が起きる。
一度の人生を生きる私にとっての母性が、決して1つではないと認識することが、世界の捉え方を広げてくれる。
それでも、信じるものが、この世界にもういないという事実は、寂しく哀しいものだろう。
喪失を安心してまっすぐに見つめられるだけの、私が信じる先としての「母性」に囲まれるような人生をつくりたい。
私が信じると決めた対象によって私が支えられているような構造。
そんな人生なら、失う一時の寂しさは常にあれど、きっと、人生そのものは寂しいものではないと思う。
内的思考に宿る「私らしさ」
誰にもみられない文章を書くことをしばらくしていなかった。
気に入ってもらえるよう、
目に留まるよう、
エモーショナルな文脈に語りかけられるよう、
と「誰か」を意識してから書かれるものは他所行きの顔をしている。
いつからか発信と表現がごちゃ混ぜになり。
いつからか表現は切り離されて発信だけになっていった。
置いていかれた私の心。
ついて来れていないから、どうにもこの身体に乗り切れていない。
若さは身体の速さという価値を示してくれるが、心を置き去りにする欠点を持ち合わせる。
世の中トレードオフだと冷めた目で捉えるか、この瞬間に享受できるものを積極的に抱きしめるか。
一度しかない人生に、誰かの幸せを追いかけるのは勿体無い、そんな時間はどこにもない。
今の私の手元にある幸せを抱きしめることをしないで、人生にどんな素晴らしいことがあるだろうか。
誰もみたことのない景色を観たい。
それは誰かの何かを追いかける形では、決して手に入らないはずだ。
そんなことは、はじめから分かっているはずなんだ。
いつでもこの目は曇ってしまう。
元気がない
なんとなく
受け身で
主体性が出てこなくて
ギアが上がらないのに
眠たくもない
思考はまとまらないし
粘れないかというとそうでもない
まだらなエネルギーが
全体的には「欠乏」の方向で出たり出なかったり
元気がない、とはこのことか。
元にする気がなくて、ガス欠状態。
走りたいという気持ちはあっても、くべる薪がない。
湧いてくるものがないのは、沸かす原料がないから。
根本的に何かが足りていない。
思いつくのは
・叱咤激励が足りない
・刺激不足
・平和ボケ
・体を動かせていない
・疲れ
・創作不足
あたりか。
こういう時に動画コンテンツは適していそう。
受け身でもインプットできていると自信があれば、受け身にしかなれない時期もプラスに捉えて乗り越えていけそう。
元気がほしいナァ。
元気すら内側から湧き出るものだろうか。
次の復活の時を待とう。